騎士物語 5

 

 

窓枠からテラスへと登り、軽やかにフェンスを飛び越えた侵入者は、にんまりと笑いながら

「盗賊に、なれるかもしれないな」と、ひとりごちた。

あらかじめ、錠を外しておいた窓を、音がしないようにそっと開き、するりと部屋に潜り込んで、室内の人の気配に、立ちすくんだ。

 

「ずいぶん、遅いご帰館だな、弟ぎみ。いや、お早いご帰館と、言うべきか?」

盗賊気取りだった弟は、絶望の吐息を漏らした。

燭台の蝋燭に火が灯され、自分を出迎えてくれた兄の顔は、にこやかに微笑んでいた。

観念して、兄の元へ歩み寄った。

 

「公爵家の子弟が、いかがわしい場所で、悪友どもと夜遊びとは。母上が知ったら、腰を抜かすぞ」

兄はそう言いながら、弟の腕を掴んでベッドに腰掛け、膝の上にうつ伏せにした。

そして、ズボンと下着を下ろすと、剥き出しのお尻を、平手でぶち始めた。

「痛い、痛いよ。兄さま」

「静かにしろ。母上に、気づかれるぞ」 

そう言われて、弟は声を押し殺したが、お仕置きの痛さに呻き、早くも大泣きだ。

お尻がピンク色に染まる頃、ようやく兄は、手を止めてくれ、膝の上から弟を立たせ、自分もベッドから立ち上がった。

 

「ごめんなさい、兄さま」

弟は、しゃくりあげながら詫びた。意地っ張りの彼には珍しく、殊勝な態度だ。

「もうしない、許して」

「さて、どうしたものかな」

 

兄は、意地悪く微笑みながら、うなだれている弟の顎に手を掛けて、顔を上げさせた。

「このまま、廊下に立たせるか?朝になったら、大騒ぎだな」

弟は、ふるふると、首を横に振った。

「それとも、母上にご報告して母上からも、お仕置きをして頂くか?」

「いや、それだけは許して。兄さま」

弟は泣きながら、両手で思わず、尻を庇った。兄は、その両手首をねじり上げた。

 

「悪い子だ」

「もうしない。二度としないから」

ぽろぽろと大粒の涙を流しながら、詫びる弟を睨んだまま、兄は壁に掛けてあった、樺鞭を手に取った。

そして、弟を小脇に抱え、お尻を打ち据えた。

弟は、うめき声を噛み殺し、必死に耐えた。わざと間隔をあけて、ゆっくりと5回ほど鞭打ったのち、下着とズボンを穿かせてやった。

 

「兄さま」

弟は、縋りついてきた。あまりに勢いよく抱きつかれて、支えきれず、二人してベッドに倒れ込んだ。

 

「いきなり、飛びつく奴があるか」

兄はそう言って、ズボンの上から、弟の尻を軽く叩いた。

「見習い期間を終えたばかりの、新人近衛兵どうしが、いきなりのご乱行とは」

「怒っているの?」と、尋ねながら縋りついた弟を、兄は

「酒臭い」と言って突き放し、肘をついて横向きになりながら、弟の顔を覗き込んだ。

弟の酔いは、さっきのお仕置きで、すっかり醒めていた。

「そなたは幼い頃から、いたずらっ子の腕白坊主だったが、いつの間に、夜遊びをするような、不良息子になったのだ?」

「もうしない」

 

 

厳しい叱責を覚悟して目を伏せた弟に、兄は、意外な言葉を口にした。

「そなたも、もう15歳だ。たまには、羽目を外すのもよかろう。友人との付き合いもあろう。だが、騎士には、騎士の遊び方というものがある。今度、教えてやる」

「兄さまが?」

「なかなか、いける口のようではないか?」

 

ぎょっとしたように、弟は、兄の顔色を窺った。まさか?

「最近、私の部屋のブランデーが、えらい勢いで減っていくのだが?」

ベッドから飛び降りて、逃げようとした弟を、抱きすくめ

「そなたの仕業だな?」と、問いつめた。弟は、泣きながら兄を見上げ

「ごめんなさい」と自白した。兄は、とうとう苦笑を漏らした。なんとも、たやすく落ちたものだ。先日、宮殿に忍び込んだこそ泥でも、もう少し粘ったものを。

 

「もう泣くな。貴公子の夜遊びは、私が教えてやる。だからもう二度と、不良のまねごとなどするな」

弟は、兄に抱きついた。兄が自分を、対等に扱ってくれたことが嬉しかった。兄も内心では、嬉しかった。一人前になった弟と、酒を酌み交わす日を、楽しみにしていた。

それは、今は亡き父も、同じだった。父と兄と弟が、杯を交わしながら、語り明かす。

そんな幸せな一夜を、一度も過ごすことなく、父は自分に、幼い弟と公爵家の行く末を託して、逝った。

 

 

「じき、夜が明ける。少しでも、眠っておおき」

そう言ってベッドに潜り込ませた兄の腕を、弟は掴んで、放そうとしなかった。

「こら、放せ」

物も言わずに懐に縋りついて、弟は、離れない。

「そなたが離してくれないと、私は、部屋に戻れないのだが?」

「イヤ」

駄々っ子の弟を寝かしつけ、兄はそっとベッドから抜け出し、自室に戻って、ベッドに倒れ込んだ。まったく、幾つになっても、世話の焼ける奴だ。

 

  

朝になって、身繕いを済ませて部屋を出た兄は、弟の部屋の前で、ばあやが大声でわめいているのを目撃した。

「いかがした?」

「ああ、ヘミオラさま」

ばあやは、腰を折って、お辞儀をした。

「カノンさまが、いくらお起こししても、お目覚めにならないのです。お具合でもお悪いのではないかと、心配で・・・」

 

  

ヘミオラは、カノンの部屋に入り、ぐっすり寝入っている弟に

「とっとと起きろ。遅刻する気か?新人近衛兵!」と怒鳴った。その怒声に、カノンは飛び起きて、お尻の痛さに思わず、悲鳴をあげた。

「カノンさま。大丈夫でごさいますか?どこか痛むのですか?」

ばあやが、心配そうに尋ねる。

「いや、大丈夫だ」

「昨日のお仕事中に、お怪我でもなさったのでは?お帰りがたいそう遅くて、奥様もご心配なさっておられました。奥様を、お呼びしましょうか?」

「いい、大丈夫だから。すぐ起きる」

「左様でございますか」

 

「どこか痛むのですか?弟ぎみ」

ばあやが、部屋を出て行ったあと、ヘミオラはカノンのベッドに腰掛けて、意地悪く尋ねた。カノンは、兄を睨みつけた。

「兄さまの意地悪」

カノンはそう叫んで、ベッドから飛び降り

「着替えるから、出て行って」と兄を追い出した。

「急がないと、遅刻だぞ」

 

  

朝食を摂る時間は、なかった。

「カノン、なんということです。近衛隊長のお兄さまより、お寝坊とは」

しかし今は、母の説教を聞いている暇など、ない。

「母上。お小言は帰ってから、ゆっくり伺います。間に合わない!!」

立ったまま、珈琲を飲み干し、カノンは

「行って参ります」と言って、飛び出していった。玄関で、執事から剣を受け取り

「行ってくる」と言って、颯爽と馬に跨り、一瞬、お尻の痛さに顔をしかめたのを、ヘミオラは、見逃さなかった。今日は、カノンにとって、長くて辛い一日に、なることだろう。

 

 

「ヘミオラさま」

義母は、素知らぬ顔で朝食を摂る、先妻の息子に、呼びかけた。

「昨夜、何があったのです?」

「母上。今日、カノンが帰ってきても、何食わぬ顔をしていて下さると、お約束頂けますか?」

「やはり、何かあったのですね?」

「お約束、頂けますか?」

「ヘミオラさま。わたくしは、カノンが宮廷に士官した日に、誓いました。今後はもう二度と、カノンにお仕置きはしない。

これからのカノンの躾は、兄であり、上官であるヘミオラさまに、お任せすると」

 

ヘミオラは昨夜、いや実際には今朝のいきさつを、かいつまんで話した。

「なんということでしょう」

義母は眉をひそめ、深いため息をついた。

「カノンは、ヘミオラさまと同じく、亡き公爵の血を引いているのに、どうして、貴方のような、立派な貴公子になってくれないのか。わたくしの育て方が、悪かったのですわ」

「私は、立派な貴公子などではありません。幼い頃は、それはやんちゃで、腕白でした」

「貴方が?」

「幼い男の子のしでかすことなど、大した違いはありません」

「でも、わたくしが知っている貴方は、いつも物静かで聡明で、礼儀正しく、それでいて剣を取らせれば、宮廷一の遣い手。

誰からも慕われ好かれる、お父さまご自慢の、跡取りでしたよ」

「母上が、来てくださったからです。こんなに若くてお美しい、新しいお母さまの前で、お尻を剥き出しにされて、父上からお仕置きをされるなんて、恥ずかしくて耐えられない」

 

  

ヘミオラは、静かに語り始めた。カノンの育て方が悪かったと、自分を責めている義母の姿を見るのが、辛かった。

「母上のお輿入れが決まったあと、我が家には、数々の祝いの品が届けられました。領地のワイナリーからは、極上の葡萄酒が。

それが届いた翌日、私は悪友2人を密かに招き、酒蔵に忍び込みました」

義母は、ヘミオラが何を言いたいのか、真意を測りかね、そっと彼を見つめた。

「酒樽の栓を抜き、おそるおそるグラスに1杯ずつ注ぎ、飲み干しました。

葡萄酒は、口当たりが良いですから、1杯だけのつもりが、2杯になり3杯になり、気が付いたら、手に樺鞭を握りしめ、鬼のような形相をした父上が、目の前に立っておられ・・・」

「それで?」

「もう、お許し下さい」

「カノンと二人して、私に隠し事をした罰です。続きをお話になって」

 

義母は、いつもの明るい笑顔を、取り戻した。

ヘミオラは初恋の人に、これ以上、過去の恥を晒したくはなかったが、それ以上に、彼女に、いつもの元気と自信を取り戻して欲しかった。この人には、いつも笑っていてほしい。

この美しい微笑みに、惚れたのだから。 

「父上は、悪童3人を酒蔵の床に四つん這いにさせると、お尻を剥き出しにし、樺鞭でそれぞれの尻を、真っ赤に腫れ上がるまでぶって、お仕置きをなさいました。

そして朝までそのままの姿勢でいるよう、命じられました」

「朝まで?四つん這いのままで?」

「そうです。懲罰台に乗せられることもなく、自分で四つん這いの姿勢を保ったまま、朝までそうして、お尻を出していろと」

「それで?」

「恥ずかしい思い出を暴露する罰は、まだ、お許し頂けないのですか?」

「許しません」

「厳しいお母さまだ」

 

「私たちは泣きながら、四つん這いの姿勢を保ち続けました。鞭打たれたお尻は痛いし、酒蔵の床は冷たいし、お腹は空くし。

それでも、歯を食いしばって、父上のお仕置きを受け、やがて・・・」

「3人のうちの一人は、蓑虫のように丸まって、寝入りました。

もう一人は、うつ伏せになって、自分の両手でお尻を庇いながら眠り、あとの一人はなんと、仰向けで大の字になって、大いびきを、かきながら・・・」

義母は、声を上げて笑い出した。

 

「母上への秘め事の罰として、こうなったら、洗いざらい白状しましょう。その後、その悪童たちが、どうなったかを」

「お聞かせください」

「蓑虫のように、丸まって眠った悪ガキは、近衛隊長になりました。

そして、自分の手でお尻を庇いながら、うつ伏せで寝入ったいたずらっ子は、昨年、内親王殿下お輿入れの際、親衛隊長を仰せつかり、隣国へ赴き、大の字になって寝ていた、太っ腹の悪漢は・・・」

そこまで言って、ヘミオラは堪えきれず、笑い出した。

 

「なんです?おっしゃい」

「現在、王太子殿下のご養育係です」

「なんですって?」

義母は、しばらくあっけにとられ、やがて、朗らかな笑い声をたてた。

「今でも時折、からかってやります。よもや殿下に『お仕置きの後は、大の字になってお眠りなさい』と、お教えしているのではあるまいな、と」

 

「わたくしが嫁いできたとき、亡き公爵は、こうおっしゃいました。

『ヘミオラは、根は良い子なのだが、なかなかのやんちゃでな。そなたにも、苦労をかけるかも知れぬ』と」

「カノンも同じですよ」

「そうでしょうか?」

「カノンは、頭が良く、仕事も出来る。最近は手合わせすれば、私も3本に1本は、カノンに取られる。すぐに立派な騎士になり、重責を担うようになります」

「そうだと、良いのですが」

「上官である私が、言うのです。間違いありません。カノンは私にとって、最も頼もしい優秀な部下です」

 

ヘミオラは、そう言って微笑み、柱時計を見て、立ち上がった。

「おっと、私も、そろそろ出かけねば。隊長が遅刻しては、部下に対して、示しがつかない」

玄関で執事から剣を受け取ったヘミオラは、心優しい義理の息子から、凛々しい王宮武官の顔に、なっていた。

「行ってくる」

そう言って、颯爽と馬に跨った息子に、義母は

「ご武運と、つつがなきお勤めを、お祈り申し上げます」と言って、頭を垂れた。

父の死後、義母は自分を、当主として扱ってくれる。

カノンが出かけるときは、決して見送りに出ない義母が、ヘミオラの出仕のときには、玄関まで見送り、挨拶をしてくれる。

 

「母上、今日は早く戻ります。久しぶりに、カノンと3人で、夕食を摂りましょう。そしてそのあとは、カノンとの寝酒に、おつき合い下さい」

「カノンとの?」

「はい」

「殿方どうしの酒席にはべるなど、貴婦人のすることでは、ございません」

「良いではありませんか。この家の主は、私です。これは、主命ですぞ」

「カノンほどではないにせよ、ヘミオラさまも、なかなかのやんちゃでおられますのね」

「では、今宵」

義母の見送りを受けて、ヘミオラは馬に鞭をくれ、王宮へ向かった。 

  

  

 

 

 

 

 

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