騎士物語 3

 

 

 

 

 

26歳になったヘミオラは、史上最年少の近衛隊長に昇格した。

そして弟のカノンは2年前、士官学校に入学した。

 

さかのぼれば王家の血を引くとはいえ、ヘミオラやカノンが生を受けたコンツェルティーノ公爵家の始祖は7代も前の国王の、しかも妾腹の第4王子だった。

兄にして王太子が即位後、臣に降った王子は、王家を守り近衛軍を指揮する王宮武官としての任を仰せつかった。

以降、代々コンツェルティーノ家の子弟は、11歳から士官学校に入り、15歳で近衛兵に任官することになっている。

 

ある日、士官学校を視察中のヘミオラは、中庭でお尻叩きのお仕置きを受けている士官候補生たちを目撃した。

懲罰台に手を突いて膝下までズボンと下着を下ろされ、剥き出しのお尻を太い枝でぶたれている悪ガキどもの一人は、誰あろう、弟のカノンだった。

 

「あれは?」

「はっ。あの者たちは、剣の稽古中にふざけて庭の枝に斬りつけ、何本も枝を切り落としたので、罰として自分たちが切った枝で尻を叩いて懲らしめております」

「なるほど」

案内の役人は、罰を受けているうちの一人が近衛隊長の弟だと気づいたらしく

「あの、いかに弟ぎみといえども」と、申し訳なさそうに言い足した。

「当然だ。存分に懲らしめよ」

ヘミオラは断固として命じた。

お尻をぶたれる痛みに顔をのけぞらせた瞬間、カノンは去っていく兄と眼が合った。 

 

 

 

 

家路に就いたヘミオラの後ろから靴音が迫ってきた。

たとえ王家に連なる大貴族の子弟といえども、半人前の士官候補生に馬は与えられない。

「兄さま」

追いついた弟は、息を切らせていた。

「今、帰りか?」

「はい」

ヘミオラは従者に命じて馬足を弛めて弟の歩みに合わせてやったが、馬に跨った兄に早足で従うカノンは、何か言いかけては口をつぐむ。

 

  

とうとう屋敷に帰り着いた。

「カノン。言いたいことがあるのなら、はっきりと申せ」

厩舎の前でヘミオラは、従者を下がらせて言った。

二人きりになれてやっとカノンは、重い口を開いた。

「・・・今日、士官学校でご覧になったことを、お母さまにおっしゃるの?」

ヘミオラは、それには答えず

「カノン。久々に、遠乗りに出かけるか?」と誘った。

そして、弟の返事も待たずに

「遅れるな」と、馬に鞭をくれた。

「待って。兄さま」

大慌てで厩舎に駆け込み、自分の馬に飛び乗ったカノンは、懸命に兄の跡を追った。

 

 

  

広大な公爵家の領地を駆けめぐり、領内の湖畔でヘミオラは馬から下り、そのまま腰を下ろすと寝そべった。

「ああ、気持ち良い。やはり馬は、野原に限るな」

カノンは、おそるおそる兄の傍らに腰を下ろした。

「そなたも寝そべってみよ。綺麗な夕焼けだ」

そう言われてもカノンは兄の叱責が怖くて、そんな暢気な気分にはなれない。

 

「兄さま」

早くも涙声で呼びかける。ヘミオラは起きあがり

「今日のことを、母上に黙っているつもりだったのか?」と問いかけた。

カノンは唇をかみしめて、わずかに首を横に振った。

「申し上げねばならないとは、思っています。でも」

「でも?」

「申し上げれば、お母さまにお仕置きをされる」

「当たり前だ」

「私は、もう13歳です。お母さまに、お尻を剥き出しにされてお仕置きをされるなんて、恥ずかしくて耐えられない」

「ならば、お仕置きをされるようなことをしなければよかろう。母上は悪いことをしなければ、お仕置きなどなさらない」

カノンは、溢れ出てくる涙を自分の掌で拭った。

ずいぶん大人になったものだ。少し前までは、縋りついて泣きながら取りなしをせがんでいた、甘ったれの弟が。

 

  

ヘミオラは立ち上がった。

「帰るぞ」

「兄さま?」

「私は母上には何も言わない。どうすれば良いのかは、そなたが自分で考えろ」 

 

屋敷に戻り、母の部屋へ二人揃って赴くと、母は満面の笑みを浮かべて

「さぞお腹が空いたでしょう。お夕食にしましょう」と言った。 

「お母さま。その前に、お話があります」

カノンが言った。

「なんです?」

カノンは言いにくそうに、唇を噛みしめた。

「おっしゃい」

「私は今日、士官学校でお仕置きを受けました」

母は息子の報告を黙って聞いた。そして

「カノン。罰として、貴方はお夕食抜きです。あとでお仕置きをしますから、それまでお部屋で待っていなさい」と命じた。

「はい」

カノンはうなだれて、部屋を出て行った。 

 

夕食のメニューは、カノンの好物ばかりだった。

これを食べさせてもらえないカノンも辛いだろうが、食べさせてやれない義母はもっと辛いだろう。

「母上」

夕食後、ヘミオラは義母に呼びかけた。しかし彼女は

「カノンへの取りなしなら、聞く耳もちません」と、毅然とはねつけた。

「ヘミオラさまは、カノンに甘すぎます」

「育ち盛り、食べ盛りのカノンには、夕食抜きの罰で十分だと思いますが」

「そのように甘やかしては」

ヘミオラは食後の珈琲に口を付けると、一気に言った。

「5歳で生母を亡くし、11歳のときに貴女が新しいお母さまになってくださるまで、私はずっとひとりぼっちだった。13歳の時に、小さなカノンが我が家に来てくれたときの喜びは、今でも忘れられません」

 

「ヘミオラさまは、それはそれはカノンを可愛がってくださいました。

 士官学校からお戻りになったら、お父さまへのご挨拶もそこそこに、カノンのお部屋にいらっしゃって赤ん坊のカノンを抱き上げて」

義母は懐かしそうに言った。

「赤ん坊の抱き方など知らないから、せっかく寝ているカノンを泣かせて、逆に乳母に叱られました」

「カノンは幸せな子です。異母兄弟がいがみ合うことはよくあることなのに、お兄さまに疎まれるどころか、こんなに愛されて」

 

義母は、そう言って涙ぐんだ。

ヘミオラは、最初から自分によくなついてくれた。

慣れない婚家での暮らしを助けてくれ、聞き分けの良い素直な子で「お母さま、お母さま」と慕ってくれた。

そしてカノンが生まれたとき

「お母さま。僕に、こんなに可愛い弟を下さってありがとう」と言ってくれた。

夫の死後は、自分を女当主として立ててくれ、カノンの躾もすべて任せてくれている。

 

「今宵は私に、カノンをお預け頂けませんか?」

ヘミオラはそう言って、義母を見つめた。

「カノンも、もう13歳です。さすがに、お母さまに剥き出しのお尻を見られるのは、恥ずかしいのですよ」

ヘミオラは自分の過去を思い出していた。

義母に醜態をさらしたくない一心で、父のお仕置きを受けるような、いたずらをしなくなったあの頃を。

 

「恥ずかしいのなら、お仕置きをされるような、おいたをしなければ良いのです」

「ええ、おっしゃるとおりです。カノンも良く分かっています。でもカノンももう、年頃です」

「ではお兄さまが、厳しく懲らしめて下さいますか?」

ヘミオラは、苦笑した。

「本当に、厳しいお母さまだ」

そう言って立ち上がったヘミオラに、義母は壁から枝鞭を取り

「お願いしますね」と鞭を渡した。

「おやすみなさい。母上」

ヘミオラは鞭を受け取り、義母の手を取って就寝前の挨拶のキスをした。

 

 カノンは、自分の部屋でベッドに座りうなだれていた。

「おいで」

ヘミオラが呼ぶと

「お母さまは?」と、早くも涙声で尋ねた。

「ついて来なさい」

ヘミオラは、カノンを自分の部屋に連れて行った。そして、ベッドに腰掛け

「ここへおいで」と自分の膝を叩きながら命じた。 

兄の手に握られている枝鞭を見て、カノンは震え上がったが、潔く従った。

ヘミオラは、弟のズボンと下着をおろし、お尻を剥き出しにした。

それだけで、カノンは泣き出した。

 

  

ヘミオラは、士官学校でイヤと言うほど鞭打たれ、すでに真っ赤に腫れ上がったカノンの尻を撫で薬を塗ってやった。

お尻をぶたれるものと覚悟していたカノンは、

「兄さま?」と呼びかけた。

ヘミオラは、カノンを膝から立たせた。

「今宵の夕食は、そなたの好物ばかりだったぞ。食べられなくて残念だったな」

カノンは兄に抱きついて、泣きじゃくった。

「兄さま」

「こんな大きななりをして、いつまで泣いているつもりだ?」

「兄さま、兄さま」

ヘミオラは、弟を抱きしめてやった。

 

  

カノンが、自分からお仕置きを覚悟で母に罪を告白したことが嬉しかった。

彼を信じて、どうすれば良いのか自分で決めろと命じた。

期待と信頼に見事に応えてくれた弟が、愛おしい。その潔さと勇気に免じて、義母には悪いが、今夜だけは許してやろう。

 

  

兄の部屋で、兄の寝台で、兄に腕枕をしてもらいながら、弟は大好きな兄に甘えた。

士官学校でのお仕置きは、とびきり痛かった。ふざけて自分で切った枝は、今まで見たこともない太い枝鞭となって、剥き出しのお尻にふるわれた。

 

「兄さま。近衛兵になったら、皮鞭で背中を打たれるって、本当?」

「ああ。枝鞭でお尻へのお仕置きで許してもらえるのは、子供のうちだけだ。一人前の武官が罪を犯したら、皮鞭で背中を鞭打たれる」

「枝鞭より、痛い?」

「当たり前だ。皮膚が裂けて、背中が血まみれになる」

カノンは震えながら、ヘミオラに縋りついた。

「そんなもので済めば、まだましだ。もっと重罪を犯したときは、銃殺刑だぞ」

「殺されるの?」

  

震える瞳で自分を見上げる弟の前髪を掻き揚げてやりながら、ヘミオラは

「カノン、よくお聴き」と言った。

「一人前の騎士は、国王陛下から剣と馬を賜り、様々な特権を与えられる。権利を享受する者は、それにふさわしい義務を果たさねばならない。

与えられた権利が大きければ大きいほど、背負わなければならない義務と責任も重くなる。

そして自らの過ちは、自らの血で贖わねばならない。それが、王宮武官というものだ」

 

カノンは、兄の教えを噛みしめるように聞き深く頷いた。

「そなたはいずれ、そういう騎士にならねばならぬ」

「はい」

「私の片腕となって、立派に働いてもらわねばならぬ」

「必ず、そうなります」

「楽しみにしているぞ」

「はい」

ヘミオラは、頼もしい返事をしてにっこり笑った弟を、抱き寄せた。 

 

士官学校を卒業し、国王臨席の近衛兵任命式で、近衛隊長から軍務証書と騎士としての称号を授けられるカノンの姿をこの目で見ることが、亡き父の夢だった。

まして、近衛隊長に任ぜられた兄が、弟に近衛兵としての称号を授ける場面を見たら、亡き父はどれほど喜んでくれただろう。

しかし、その夢は叶わなかった。

「カノンと母上を、頼んだぞ」

それが、父の遺言だった。

いまわの際に握りしめた父の手の温もりは、生涯、忘れない。 

 

 

ヘミオラは、寝息を立て始めたカノンの横顔にそっと見入った。

弟は日に日に、最愛の人である義母に似てくる。

弟に語って聞かせた騎士道精神を名実共にカノンに身につけさせるためには、そろそろ、父から授かった教育権を行使しなければならない。

 

 

温厚で優しかった亡き母の性格を譲り受けたヘミオラは、人を叱ったり罰したりすることが大の苦手だ。

隊長に着任したばかりの近衛隊でも、

「そのように部下を甘やかされては、舐められます」と、副官から忠告されている。

ヘミオラは深いため息をついて、天を仰いだ。

 

父のように深い愛情をもって、しかし必要とあらば心を鬼にして、厳しくカノンを育てることが自分に出来るのか?

初恋の人にそっくりの面影を宿す最愛の弟に、鞭をふるうことなど出来るのだろうか? 

「父上。どうしてこんなに早く逝ってしまわれたのです?まだまだ教わりたいことが、山ほどあったのに。あんまりです」

 

しかし、あれこれ思い煩っても仕方ない。

今は、着任したばかりの近衛隊長の重責を果たすことが先決だ。

剛・智・仁三拍子揃った天才は、頭の切り替えも早い。

ヘミオラは、弟にしてやっていた腕枕を、彼を起こさないようにそっと外し、ベッドサイドの燭台の蝋燭を吹き消した。

 

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