騎士物語 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘミオラ」

「なんだ?」

「王家のお狩り場とは、なにゆえ、こんなに気が遠くなるほど広いのだ?」

「お狩り場が狭くては、狩が出来まい」

「それは、わかってはいるが・・・」

狩り場の警護も近衛兵の務めだ。

 

のどかな昼下がり。

天気は良く、初夏の日差しが、若い近衛兵の遊び心を刺激する。

「おい」

同僚の呼びかけに、ヘミオラはにやりと笑って馬の手綱を引き絞った。

「やるか?」

「受けて立とう」

二人は馬を全力疾走させた。やんちゃな腕白どもは、時々こうやって狩り場の警護中にレースもどきの競争をする。

天然の森である狩り場は、広さと言い傾斜や勾配と言い、騎手の腕試しにはもってこいのレース場だ。

任務中にこんなことをしているのが見つかったらただではすむまいが、今のところ、ばれたことはない。

 

 

 一勝負終え、王宮のすぐ近くまで戻ってきた二人の近衛兵は、馬から降りてそれぞれの馬を引きながら、近衛隊の隊舎を目指して歩き出した。

あがった息を整え、汗を引かせてから戻らねば、警護中によからぬことをしていたのがばれてしまう。

 

 

そのとき、木陰から一人の少女が、駆け寄ってきた。

「内親王殿下」

二人は、すかさず跪いた。

「ヘミオラ」

王女は見知った顔を見つけて、嬉しそうに走り寄ると

「お願い。そなたのお馬に乗せて、遠くへ連れて行っておくれ」と、両手を合わせてねだった。

「また、お勉強を抜け出して来られたのですか?」

「綴り方のお勉強は、退屈だから嫌い」

誰かも同じ事を言っていたな、とヘミオラは苦笑した。

幼い弟もじっと座っていることが大の苦手で、よく勉強中に抜け出しては、父に大目玉を喰らっている。

「お勉強をおさぼりになるなど、内親王殿下のなさることではございません」

「嫌なものは、イヤ」

ヘミオラと同僚は、ため息をついた。

国王の第1王女は、14歳になったら隣国の皇太子の元へ嫁ぐことがすでに決まっている。未来の王妃がこんなに怠け者のお転婆では先が思いやられる。

しかしヘミオラは、きかん気で駄々っ子のなだめ方を知っている。

「内親王殿下。では少しだけ、馬にお乗せしましょう。そのあとは、お部屋にお戻り頂けますね?」

「ヘミオラ」

同僚が囁いた。そろそろ戻らねば、こちらが懲罰を喰らう。

 

「そなたは、このまま戻れ」

「一人で良い格好するな」

同僚は、にやりと笑った。

「おつき合いしますよ。我が友よ」

王女をヘミオラの馬に乗せ、二人は狩り場をゆっくりと駆けめぐった。王女は大はしゃぎで部屋に戻る前に

「大きくなったら、二人とも、私の婿にしてつかわす」とのたまった。

「ありがたき幸せにございます」

 

「未来の国王か。悪くないな」

「しかも、二人で」

二人は顔を見合わせて噴き出した。そして真顔になり

「さて、どうなるかな?我々は」と問いかけた友人に「背中が血まみれになろうな」と、ヘミオラは答えた。

「そういう怖ろしいことを、しらっと言うな」

「ならば、逃げるか?」

「そうもいくまい」

若き近衛兵たちは、そろってため息をついた。勤務中に悪ふざけをしていた天罰がくだった。

 

 

 

 

屋敷に戻り父の部屋に挨拶に行くと、父は幼い弟を膝に抱き上げ、上機嫌でなにやら話して聞かせていた。今日は珍しく、やんちゃな弟は良い子にしていたらしい。

カノンは大好きな兄さまの顔を見るなり、嬉しそうに父の膝から飛び降りて

「兄さま。お帰りなさい」と背中に飛びついてきた。ヘミオラは、思わず悲鳴をあげた。

「カノン!今日だけは、それは勘弁してくれ」

「いかがした?ヘミオラ」

父は心配そうに椅子から立ち上がったが、息子が痛がっているのが背中だと分かると

「上着を脱げ」と命じた。ヘミオラが軍服の上着を脱ぐと、父は物も言わずにシャツをたくし上げ、血が滲んだ傷だらけの背中を見て深いため息をついた。

「どうなさったの?兄さま。すごいお怪我」

怪我か。まあ、怪我と言えないこともないな。

ヘミオラは、痛みに顔をしかめながらも苦笑した。

「カノン。そなたはお母さまの所へ行っていろ」

父が命じた。ヘミオラは弟の腕を取り

「カノン。頼みがある」と言った。

「なあに?」

「私の怪我のことを、お母さまには黙っていてくれ」

「はい」

「約束だぞ」

「はい」

 

「自分の罪を、弟に口止めする兄がどこにいる?このバカ者が!!」

カノンが部屋を出て行くと、父はそう怒鳴って皮鞭で背中をぴしりと打ち据えた。

ヘミオラは、父の文机に手をついてのけぞって悲鳴をあげ、喘ぎながら父を見上げた。

「母上にだけは、このような無様な姿を見られたくないのです」

「罰として、今夜は夕食抜きだ」

ヘミオラは半身を起こし、仁王立ちになっている父を見つめた。

「初恋の人の前では、いつでも凛々しい騎士でいたいのです」

「なんだと?」

「母上は、私の初恋の人でした」

ヘミオラはそう言って、父から目を逸らした。

「父の妃に恋いうるは死に値する重罪。泣く泣く、諦めました」

そして自嘲的な笑みを浮かべ、前髪を掻き揚げながら

「哀れな息子の、はかなかった初恋に免じて、母上に知らせることだけはお許しください」と訴えた。

ヘミオラの瞳は潤んでいた。父はヘミオラを長椅子に座らせ、横に腰を下ろした。

そしてゆっくりと、息子を胸元に抱き寄せながら「自慢の息子が、よもや恋敵だったとはな」と言い、ヘミオラの髪を撫でてやった。

久しぶりに顔を埋める父の胸は、相変わらず広くて温かかった。

 

 

 

 

 

 

ヘミオラは幼い頃から、聡明で利発で、聞き分けの良い子供だった。

前妻を病で失ったあと、公爵は幼い息子をろくに構ってやれなかった。働き盛りで忙しかった。

しかし、息子は大して我が儘も言わず、じいやの躾と家庭教師の教育を受けて、立派な貴公子に育ってくれた。義母にもすぐなつき、カノンを心から可愛がった。

ヘミオラが再婚以来、お仕置きが必要なほどのいたずらをしなくなったのは、士官学校へ入ったのと弟のカノンが生まれたことで、大人としての自覚が芽生えたからなのだろうとずっと思っていた。しかし、そうではなかったのだ。

息子は新しい母にほのかな恋心を抱き、愛する高嶺の花の前で、精一杯虚勢を張っていた。

 

 

憧れの人の目の前でお尻を剥き出しにされてお仕置きを受けるなど、耐えられない屈辱だ。

手がかからないのを良いことに、息子の本音を一度も聞いてやったことがなかった。

 

「本当に、お利口でお行儀の良い、非の打ち所のない若さまです」という執事の言葉を鵜呑みにして、ろくに息子を構ってやらなかった。

幼くして母を失い、ヘミオラは寂しかっただろう。悲しかっただろう。

大らかで自由奔放なカノンと違って、聡明で自立心の強いヘミオラは、自分の思いを口に出す子供ではなかったが、だからといって、ヘミオラが何の不満も抱かずに、幼少期を過ごしたはずがないのだ。

 

 

父は、息子を膝の上に俯せにし、傷だらけの背中に薬を塗ってやった。

傷の手当てを終えると息子を起き上がらせ、顎に手を掛けて顔を上げさせ、頬を掌で包み込んでやった。

「早々に諦めてくれて良かった。そなたが恋敵では、私は、妻を息子に寝取られるところだった」

「父上」

「このように見目麗しい貴公子に言い寄られれば、我が妻も、なびいたかもしれぬぞ」

「まさか」

ヘミオラはそう言って微笑みながら、父の肩に頭をもたせかけた。

「母上は、心から父上を愛しておられます。若造の横恋慕など、歯牙にも掛けられますまい」

公爵は、久々に自分に甘える息子の頭を抱き寄せながら

「謙遜するな。そなたに恋いこがれている令嬢は、一人や二人ではない。王宮の女官たちの間でも、かなりの人気者ではないか」とからかった。

宮中一の遣い手にして、社交界一の貴公子であるヘミオラは、若き貴婦人たちの憧れの的だ。

ヘミオラが出席するかどうかは、今や、宮中舞踏会への若き令嬢たちの出欠のバロメーターになっている。

公爵の元には、「我が娘を、是非ヘミオラ殿の嫁に」という申し出がひきもきらない。

 

「おからかいを」

ヘミオラは、肩から顔を上げまっすぐに父を見つめた。

「今の私は、一日も早く一人前の騎士になり、父上の片腕となることしか考えておりません」

公爵は、息子の頬を撫でてやりながら

「良い子だ」と言った。

「お父さま」

近衛兵になってから「父上」としか呼ばなかった息子は、しばし童心に返り、昔の呼び方で父を呼んだ。そして、ヘミオラの切れ長の瞳から涙が溢れ、頬に伝った。

父は、自らの掌でその涙を拭ってくれた。

「部屋に戻って着替えて来い。じき、夕食だぞ」

息子は驚いた顔をして、立ち上がった父を見上げた。

「罰として、夕食は抜きなのでは?」

「夕餉の席に同席せねば、近衛隊での失態を母上に知られてしまうぞ」

ヘミオラは立ち上がり、脱ぎ捨てた軍服の上着を手に取った。

「ありがとうございます。本当は、腹ぺこで死にそうでした」

そう言ってにやりと笑った息子は、いつもの凛々しく頼もしい、自慢の跡取りの顔に戻っていた。

 

 

 

それから1年もたたないうちに、父は病に倒れ48歳の生涯を閉じた。

 

 

 

20歳の若さで、王家の縁戚に連なる由緒ある公爵家を継いだ凛々しき後継者は、その後、己を厳しく律し、史上最年少の近衛隊長になった。

国王の信任厚い武官として近衛隊を率い、幼い弟の憧れの兄として家名を守り、慈悲深い名君として領地を治め、社交界の華としてあまたの貴婦人がたの胸をときめかせた、美貌の貴公子を支えていたものは、あの日父が言ってくれた「良い子だ」という言葉と、大好きな兄さまを無心に慕うカノンの笑顔と、そして・・・

 

父の死後、何年かたって

「今だからこそ、白状しますわ。わたくし、この家に嫁いできたとき、お相手がヘミオラさまだったら、もっと良かったのにと思いましたのよ」という、義母の告白だった。

 

 

 

 

 

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