騎士物語 1

 

 

 

コンツェルティーノ公爵家は、7代前の国王の弟を、始祖とする。

現当主は、若くして病死した前妻との間に長男・ヘミオラ、後妻との間に次男・カノンに恵まれた。

 

ヘミオラは、18歳の若き近衛兵。貴婦人や宮中の女官たちが胸を焦がす、凛々しき若武者である。


ある日、宮殿での任務を終えて屋敷に戻ったヘミオラは、玄関から父の元へ帰宅の挨拶をしに行くべく階段を昇り掛けて、聞き慣れたすすり泣きの声に脚を止めた。

階段の裏に回ってみると案の定そこに、ズボンと下着を膝まで下ろされ、真っ赤に腫れ上がったお尻を剥き出しにしたまま立たされている弟の姿があった。

小さな腕には剣が抱えられている。

 

「また、叱られたのか」

ヘミオラは、ため息混じりにそう言いながら幼い弟に歩み寄った。

5歳の弟は腕白盛り。コンツェルティーノ家の教育は代々厳格で、悪いことをすれば厳しい体罰を与えられる。

それもこれもカノンの将来を思えばこその躾だが、5歳になったばかりの少年には辛いだろう。

いつも泣き叫びながらお尻をぶたれ、すすり泣きながら立たされている。


 

 ヘミオラは、泣きながら自分を見上げた弟に笑いかけてやった。

「今日はまた、何をした?」

カノンにとってヘミオラは、この家で一番好きな人だ。

兄さまだけは、何をしても怒らない。どんな我が儘でも聞いてくれる。泣いていればこうして慰めに来てくれる。優しい兄さまの前では、カノンはとたんに甘えん坊になる。

 

「僕。本物の剣を、触ってみたかったんだ」

「なるほど」

カノンには、まだ本物の剣は与えられていない。

父や兄が宮殿に出仕するとき、恭しく執事から差し出される剣を腰に差し、

「行ってくる」と言いながら颯爽と馬に跨り出かけていく姿を、憧憬の眼差しで見つめていた。

 

ヘミオラはカノンの側に膝を突いて、幼い弟と目線を合わせてやった。父の書斎から黙って剣を持ち出そうとしたカノンは、それで叱られたというわけだ。

おそらく、最初は剣を頭上に掲げて立たされていたはずだ。あまりの重さに耐えかねて、今は両腕に抱えるのが精一杯らしい。

厳しい父も、さすがに可愛そうで見て見ぬふりのお目こぼしか?

 

「本物の剣は重いだろう?」

兄の問いかけに、カノンはこくんと頷いた。

「騎士は、この重い剣をいつも腰に差していなくてはならない。そのためには、大きくて強い、本物の男にならねばな。

そなたのような泣き虫の甘えん坊では、いつまでたっても、本物の剣は差せないぞ」


カノンは声を上げて泣き出した。

「騎士になりたい。お父さまや兄さまのように、腰に剣を差してお馬に乗って出かけたい」

「だったら、もう泣くな」

ヘミオラはそう言って、優しく弟の頭を撫でてやった。


 

 

「父上。ただいま戻りました」

自分の前に立ち敬礼をしながら挨拶する息子を、公爵は睨みつけた。

「ただいま戻っただと?そなたの声が玄関から聞こえてから、ずいぶん時間がたったようだが?」

貴族の子弟は帰宅したら真っ先に、当主の元に挨拶に行かねばならない。ヘミオラはカノンの相手をしてやった分、父への挨拶が遅れた。

「空耳でしょう。父上もお年を召されたものですな」

父の叱責をものともせずに、ヘミオラはにやりと笑った。公爵はいまいましそうに息子を睨んだ。

 

「父上」

「カノンへの取りなしなら、聞かぬぞ。今夜は夕食抜き。夜は納屋に放り込んで、朝まで過ごさせる」

「父上の剣を、持ち出そうとしたとか」

「そうだ」

「本物の剣を触ってみたかったのでしょう。剣に興味を示すとは、なかなかに先行きが楽しみだと存じますが」

「何が言いたい?」

「あの重い剣を下げられるようになるためには、たくさん食べて早く大きくなってもらわねば」

公爵は歯ぎしりしながら、部屋の中を歩き回った。

ヘミオラの言うことはもっともだ。カノンへの躾は厳しくせねばならないが、育ち盛りの子供に食事を与えないのは、お仕置きではなく虐待だ。しかしそれを、息子に指摘されたことがいまいましい。


「わかった。夕食は摂らせる。ただし、私たちと一緒ではなく、台所でだ」

「ありがとうございます」

ヘミオラはそう言って父の書斎を辞した。本当はもう無罪放免にしてもらいたいが、頑固な父を籠絡するには手だてが必要だ。

夕食抜きの罰を許してもらったことで、ここはいったん退くとしよう。

 

  

カノンのいない食事は、静かだ。無口な父と物静かな義母、ヘミオラも決して口数が多いほうではない。

公爵家の食卓を賑やかにするのは、やんちゃな次男坊だ。

朝からの出来事を、小鳥がさえずるようにしゃべる。そしてテーブルマナーに関して、義母から小言を言われ続け、あまりに目に余るときは、父からお仕置きだ。

 

食後、公爵は妻に酒の用意をさせ

「ヘミオラ。そなたもつきあえ」と命じた。

寝酒に付き合いながら、ヘミオラは注意深く、父の様子を窺った。

酔いが回ると、父は機嫌が良くなる。しらふの時なら絶対許さないであろうことを、酔った勢いで認めてしまうことがある。

しかし己に厳しい父は、酔いが醒めてから自身の不覚を恥じても、前言を翻したりはしない。「騎士に二言は許されない」という掟を厳しく自身に課している。

そんな不器用だが誇り高い父を、ヘミオラは心から尊敬している。

偉大な父の唯一の泣き所を、最近では、ほほえましいとさえ思うようになったが、それだけは、口が裂けても言えない。

 

 

ある策略を秘めたヘミオラは、父がほろ酔い加減になったところを見計らい

「そうそう、忘れていました」と、胸元からコインを取り出した。


「これは?王妃さまのコインではないか?」

「今日、中庭の警備中に植え込みの陰にハンカチを見つけ、詰め所に届けましたところ、そのハンカチは、先月の園遊会で王妃さまが落とされたものだったのです。王妃さまは、お気に入りのハンカチが見つかったことを大層お喜びになり、褒美としてこのコインを賜りました」

「でかしたぞ。ヘミオラ」

「武勲でなくて、お恥ずかしい限りです」

「いやいや。剣を取ってのご奉公だけが、武官の務めではない」

「お褒め頂き、嬉しうございます」

「私からも、なんぞ褒美をやろう」

ヘミオラは、内心ほくそ笑んだ。狙い通りだ。しかし、そんなことはおくびも出さない。


「何を、頂けるのでしょうか?」

「何か望みが、あるのか?」

「・・・はい」

「申してみよ」

「ならば、カノンの教育権を」

「なに?」

 

機嫌の良かった父の顔がたちまち曇ったが、ヘミオラは躊躇しなかった。

ここまで来たら、あとは一気呵成に攻め落とすのみだ。

「カノンは手の付けられない、いたずらっ子です。しかし私は、カノンを叱ることも罰することもできない。それを知っているから、カノンは私には甘え放題です」

「いずれは、そなたにも与える」

「今すぐ、欲しいのです」

「ヘミオラ」

公爵は、小癪な長男を睨みつけていたが、やがてふっと笑みを漏らした。

「この策士が」

「なんのことでしょう?」

「はじめから、それが目的だったのであろう?カノンを許してやるつもりだな」

「今日はカノンを遠乗りに連れて行ってやると約束していました。しかし、帰ってきてみたら、あの有様。

だがカノンは、遠乗りのことは一言も言いませんでした。父上にお仕置きをされた時点で諦めたのでしょう。潔く罰を受けられる、いっぱしの小公子になったと思いますが」


公爵は暫く黙って杯を干していたが、やがて

「よかろう」と言った。

「これからは、そなたにもカノンの教育権を与える。ただし、甘やかしたりしたら、ただちに取り上げるぞ」

「ありがとうございます」

「カノンは今、納屋の懲罰台の上だ。迎えに行ってやれ」

「はい」

 

 

 

 

カノンは、納屋の懲罰台の上にお尻を剥き出しにしたまま乗せられ、泣き疲れて眠っていた。抱き上げてやると眼を覚まし

「兄さま」と呼びかけた。

「お父さまが、お許し下さったぞ」

カノンは泣きながらヘミオラに縋りついた。それをいったん床におろし

「ズボンと下着をお穿き。いつまでお尻を出しているつもりだ?」と言うと、カノンは恥ずかしそうに自分でお尻を仕舞った。

「おいで」と促すと、カノンはヘミオラに縋りついた。

「自分で歩けないのか?」

カノンは、何も応えない。

この甘ったれが。ため息混じりにヘミオラは、カノンを抱き上げた。

兄の胸元に顔を埋め、カノンは泣きじゃくった。


 

ヘミオラはカノンを抱いて自分の部屋に連れて行き、寝間着に着替えさせ、ベッドに入れてやった。

「今日はそなたと遠乗りに行けると、楽しみにしていたんだぞ」

「ごめんなさい」

「明日、お父さまにちゃんとお詫びを言えるな?」

「はい」

「良い子だ」

「兄さま」

「ん?」

「怒ってる?」

「いいや」

「明日、遠乗りに連れて行ってくれる?」

ヘミオラは、思わず吹き出した。この腕白坊主。ちっとも懲りていないな。

「当分、遠乗りはお預けだ」

カノンは、たちまち悲しそうな顔をした。

「お父さまの剣を黙って持ち出すような悪い子は、しばらくどこにも連れて行ってやらない」

「もうしない」

カノンはヘミオラの胸元に縋りついて訴えた。その背中を撫でてやりながら

「それではこうしよう。明日から1週間、カノンがずっと良い子でいられたら、来週の今日、遠乗りに連れて行ってやる」と言った。

「来週?」

「ああ。明日から7つ寝て、それまで毎日、そなたが良い子でいられたら」

カノンは指を折って数え、片手でおさまらないほどの数に

「そんなにいっぱい?」と自信のなさそうな顔をした。

ヘミオラは、カノンを膝の上に抱き寄せ

「たったの1週間も、良い子でいられないのか?」と問いつめた。

「僕、いつでも良い子でいようと思ってるよ。でも僕が何かすると、お父さまはすごく怒って、お仕置きをするんだ」

 

 

ヘミオラは、苦笑をもらした。

そうか、やっとわかった。幼い弟が何度叱られてもお仕置きをされても、性懲りもなくおいたを繰り返すのは、彼にはまだ善悪の判断ができないからなのだ。


「カノン。よくお聴き。これからは何かしたいことがあったら、必ずそれをする前に、私に相談しなさい。そして、私が許さないことは絶対にしてはいけない」

「兄さまがいらっしゃらないときは、誰に訊けばいいの?」

「私が帰ってくるまで、待てないのか?」

「待てない」

即答だった。ヘミオラは大声で笑い出した。弟の気持ちは、分からないでもないが。

「私がいない間は、じいやにお訊き」

「じいやは、『それは、いけませぬ』ばっかりだよ」

「じいやの言うことをお聴き」

カノンは、不満そうにふくれ面をした。

「カノン。じいやは、いけないことだからそう言うのだよ。じいやの言うことを聴けないのなら、私ももう、そなたのことなど知らないぞ」

「いやいや。そんなのいや」

カノンは声を上げて泣いた。大好きな兄さまに見捨てられては、生きていけない。


「私がいるときは、私の言うことを聞く。いないときは、じいやの言うことを聞く。いいな?」

カノンはしゃくりあげながら、こくんと頷いた。


「良い子にしていれば、お父さまもお仕置きなどなさらない。お母さまに叱られることもない」

「兄さまも、僕を嫌いにならない?」

「カノン。私はそなたを嫌いになったことなど、一度もない。お父さまもお母さまも同じだ。みんな、そなたのことが大好きだ」

「じゃあ、どうしてお仕置きをするの?どうして、遠乗りに連れて行ってくれないの?」

「お父さまはそなたが愛おしいから、悪いことをしたらお仕置きをして懲らしめる。

そなたに、立派な騎士になってもらいたい。約束を守り、我慢ができる、きちんとした子になってもらいたいのだ。私も同じだ。わかるか?」

「はい」

「お父さまもお母さまも、もちろん私も、心からカノンを愛している。そのことを、いつも忘れないでおくれ」

「はい」

愛らしい小さな弟は、やがてヘミオラの腕の中で寝息を立て始めた。

 

 

 

父から授けられた弟への教育権を、しかし実際にはヘミオラは、その後ずっと行使しなかった。父の死後は、カノンの躾は義母に任せた。

ヘミオラが実際にカノンに鞭をふるうようになったのは、カノンが15歳になって近衛兵となり、自分の直属の部下になってからだった。

 


 

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