騎士物語 最終章

 

 

 

 

 

 

 

 

 民衆が、ついに武器を取った。 

今まで、武器を持たないがゆえに、蜂起してもただちに軍隊に鎮圧されていた民衆が、武器商を襲い、武装した。 

国王と重臣たちは、ただの反乱だと高をくくっているが、ヘミオラは、事態を正しく見ていた。遠からず、この反乱は、革命となる。

 

  

ヘミオラは、義母のために、亡命の手筈を整えた。しかし、侯爵令嬢として生まれ、旧王族であるコンツェルティーノ家に嫁いだ義母の応えは

「わたくしは、貴族です。貴婦人としての身の処し方は、心得ております」と、いうものだった。 

暇を出した使用人たちも、誰一人、当主の命令に従わず、屋敷に留まった。

 

「なにゆえこの家には、頑固者しか、おらぬのだ?」

ぼやく兄に、懐刀の弟は

「当主に、似たのでありましょう」と応えながら、にやりと笑いかけた。

 

  

それから1年後、革命の火の手はついに、王都に迫った。市街を守る城塞のすぐ外まで、革命軍が押し寄せてきた日の夜、ヘミオラは近衛隊の全軍に、家に戻る許可を与えた。

明朝、王宮に出仕したら、もはや誰一人、生きては戻れまい。

 

  

コンツェルティーノ家でも、家族はもちろん、使用人全員も集められ、最後の晩餐が開かれた。

「主イエスは、最後の晩餐のとき、この中に私を裏切る者がいると、仰せられたそうだが、私は、そのような酷いことを言わずに済む。私は、幸せ者だ」

ヘミオラはそう言って、一人一人の使用人たちをねぎらった。

「そなたたちが、私と公爵家に捧げてくれた忠節に、心から感謝する。忠誠熱い、そなたたちを護ってやれなかった、未熟で至らぬ当主を、どうか許してほしい」

ヘミオラは、使用人全員に酒をふるまい、グラスを掲げ

「明日にはこの都も、阿鼻叫喚の地獄と化すであろう。命をいとえ。決して、殉死は許さぬ。これは、当主としての最後の命令だ」と告げた。

 

  

食後、兄弟は最後の共演を、母に捧げた。

クラヴサンとヴァイオリン、それぞれの名手の演奏を、母は心から楽しんでくれた。明日、兄弟を見送ったら、母は、父の後を追うのであろう。敵方の手に落ちる前に、自ら命を絶つ。

それが、貴婦人の身の処し方だ。

 

 夜更け、亡き父の書斎で、末期の杯を交わしている兄弟の元へ、じいやがやって来た。

「まだ、お寝みになられぬのですか?大事な決戦の前夜に、ご兄弟そろって夜更かしとは。爺は、お二人をそのような、ていたらくにお育て申し上げた覚えは、ございませんぞ」

長年の養育係の叱責に、兄弟は、顔を見合わせて、吹き出した。

 

  

ヘミオラは、じいやに

「先ほどの私の命令を、そなたは、きかぬのだろうな」と言った。

じいやは、穏やかに微笑んだ。

「長生きをしたお陰で、わたくしは、たくさんのことを見ることができました。近衛隊長になられたヘミオラさま。立派な近衛仕官になられたカノンさま。

いずれが桜か橘かと評され、宮中に並び立つ凛々しいお二人のお姿。しかし、長く生き過ぎると、見たくないものまで、目に入ってまいります。

もう、ここいらで、おいとましとうございます。あの世で、旦那さまが待っておられます。それに、奥様をお一人で、旅立たせるわけにはまいりません」

 

「カノン。この家に頑固者しかおらぬのは、皆が当主に似たからだと、そなたは申したが、そうではない」

「そのようですな」

カノンは、そう言って立ち上がり、じいやに杯を差し出し、酒を注ぎながら

「頑固で不器用なのは、我が家の、代々の家風だったのでございましょう」と言った。

 

「爺。長い間、世話になった」

カノンは、そう言って、にこやかに笑った。

「我らも、すぐに参る。母上を頼みいる」

ヘミオラは、そう言って、涼やかに微笑んだ。

じいやは、杯を押し頂き、平伏した。

 

  

 

翌朝、母は、にこやかに微笑み

「ご武運と、つつがなきお勤めを、お祈り申し上げます」と、いつも通りの挨拶で、見送ってくれた。 

ひとつだけ、いつもと違ったのは、その挨拶を受けるヘミオラの傍らに、カノンも、いたことだった。

生まれて初めて、母から頭を下げて挨拶を受けたカノンは、にこやかに笑い

「母上。行って参ります」と応えた。

 

  

兄弟は、そろって馬に跨り、母と使用人たちに、にこやかに笑いかけた。一人一人の顔を見つめながら、無言の別れを告げ、兄弟は顔を見合わせ、お互いに頷くと、

「行ってくる」と声を揃えて言い、馬に鞭をくれた。そして、二度と振り返らなかった。

 

  

 

 

 

宮殿に出仕した近衛兵たちは、ただちにヘミオラの指揮下で、臨戦態勢に入った。昼過ぎになって、ついに群衆が城塞を落とし、宮殿へ向かっているとの報が入った。

ヘミオラは、表門、中門、奥御殿前の3隊に、近衛隊を分けて配置し

「表門を死守せよ。何としても群衆を、宮殿内に入れてはならぬ」と檄を飛ばした。

 

 膨れあがり、暴徒と化した群衆は、表門を守る近衛兵をなぶり殺し、門を打ち壊し、宮殿内になだれ込んだ。

700年の長きにわたって、王宮を守り続けた表玄関。

各国からの賓客や、王家に嫁いでくる花嫁の馬車行列を迎え、自身も王族の警護をしながら、何度もくぐった宮殿表門は、無惨に打ち壊され、群衆に踏みしだかれている。

 

 

だがカノンには、感傷に浸っている暇はない。中門へと疾走し

「衛兵。中門を閉ざせ!表門が、破壊された。群衆が押し寄せてくるぞ」と怒鳴った。

薔薇の蔦を張り巡らした、優美で華奢な表門と違って、石造りの中門は、押し破られるまでいくらか、時間は稼げるはずだ。

カノンは、中門が閉ざされるのを見届けて、奥御殿へ走った。

 

「お逃げください。表門が、突破されました。暴徒がここまでやって来るのも、時間の問題です」

「カノン」

国王夫妻のおそば近くで、警護していたヘミオラが、駆け寄ってきた。

「隊長」

カノンは、跪いた。

「表門が突破されたとは、まことか?」

「はっ」

「警護の近衛兵は?」

「ほとんど、群衆になぶり殺されました」

「くそっ」

 

  

ヘミオラは、剣を床に突き立てた。殺された近衛兵はすべて、ヘミオラの大切な部下たちだ。しかし、歴戦のつわものは、すぐに冷静さを取り戻し

「私は、陛下のおそばに戻る。そなたはこのまま、奥御殿の警護につけ」とカノンに命じた。

 

 

 堅固な中門が保っているうちに、奥御殿の裏手から、国王一家を逃がす。ヘミオラは、迅速に、冷静に、動き続けた。

まず最初に、国王夫妻とお子様たちを、そして王位継承順位の高い者から順に。

近衛隊始まって以来の名将と評された、ヘミオラの采配は、最後まで、乱れることはなかった。

 

王弟殿下との別れは、感無量だった。

「ヘミオラ」

「殿下」

「そなたと、このように別れねばならない日が、来ようとは」

「殿下。これは、別れではございません。必ずや革命を鎮圧し、再び殿下を、この宮殿にお迎えします」

 

「ヘミオラ、カノンは?」

第2王子が、尋ねた。

「カノンは、王子をお守りするために、闘っております」

王子は、黙って頷いた。父上のお仕置きが怖いと、カノンに泣いて縋ったやんちゃな王子も、もう18歳。凛々しき若武者に、育っていた。

「武運を」

「畏れ多うございます」

 

  

なんとか王族を無事に逃がした直後、中門は、破壊された。

「であえ、であええっっ。中門が破られた。国王を、王妃を、助けまいらせよ」

門番の悲痛な叫びが、響いた。奥御殿は、修羅場と化した。ヘミオラが愛した中庭も、カノンが好んだ奥御殿のテラスも、そこここで血しぶきがあがり、断末魔の悲鳴が聞こえる。

カノンは剣を振るいながら、兄を捜した。近衛隊長には、一刻も早く、この場を立ち去り、逃亡した王族の、警護にあたってもらわねばならない。

 

「兄さま、兄さまぁぁ!!」

叫びながら斬りかかり、相手の血しぶきを浴びて、自身も血まみれになりながら、カノンは奥御殿を走り回った。 

そして中庭で、群衆と死闘を繰り広げている兄を、見つけた。

その視界の端に、兄に向かって弓を引き絞る、暴徒の姿が入った。この距離では、間に合わない。カノンは、兄に向かって走った。

 

「兄さまっっ」 

兄を庇って立ちふさがったカノンの胸に、暴徒が放った矢が、刺さった。

 

 

「カノン!!!」

崩れ落ちたカノンを抱きかかえ、ヘミオラは、御殿の一番奥の小部屋に、身を潜めた。

「カノン、カノン、しっかりいたせ」

「兄さま」

「カノン」

「早く、逃げて。早く、陛下の御許へ」

「しゃべるな」

「兄さま、早く。近衛隊長は、陛下のおそばに」

「カノン、カノン」

「にい・・さま・・・」

 

 カノンは、腕を伸ばした。ヘミオラはその腕を、しっかりと掴み

「しっかりいたせ、カノン。聞こえるか?カノン?」と叫んだ。

「やく・・・そく・・・」

「カノン?」

「さい・・ごまで・・おそばに・・・死・・なば、もろ・・と・も・・」

「カノン!!!」

「まもれな・・・かった・・・・やく・・そ・・・」

「カノン。許さぬぞ!!私を置いて逝くことなど・・・カノン、カノン!!!!」

 

  

弟は、最期の力を振り絞って、兄の手を掴んだ。

「ご・・めん・・なさ・・・」

「カノン、カノン!!!!!」

息絶えた弟を抱きしめ、ヘミオラは、号泣した。

いかなるときも、冷静沈着だった近衛隊長が、人目も憚らず、最愛の弟を抱きしめ、涙を流したのは、これが最初で最後だった。

 

  

だが、近衛隊長であるヘミオラには、弟の非業の死を、嘆き悲しむ暇はなかった。すぐに、王宮を脱出しなければならない。

700年続いた、華麗なる王朝絵巻の終焉。我々兄弟もその血を引く、王家の滅亡。

権力とは、これほどにあっけなく、朽ちるものなのか。

私とカノンが、父が、そのまた父が、代々の当主が、命に替えても守らねばならぬと教えられ、伝えてきた、その終末の、なんとあっけないことか。

 

  

ヘミオラは、弟の死骸を、王妃愛用のクラブサンの上に、横たえた。カノンは、クラブサンの名手でもあった。 

せめてこの死骸が、暴徒どもの手に侵されることなく、ここで安らかに、眠っていてほしい。

 

カノンの死骸を安置すると、ヘミオラはただちに王宮を脱出し、逃亡中の王族に合流し、警護にあたった。

 

 

革命は鎮圧できるどころか、日に日に勢いを増し、王の周りにいた者たちも、一人二人と、逃げ去って行った。 

共に宮殿から逃れた一族ともはぐれたヘミオラは、国王一家を護りながら、全国各地に隠れ潜んでいる王党派の貴族たちと連絡を取り、国王一家を、王妃の故国へ亡命させることを、画策した。

 

しかし、王妃は

「亡命するのは、王太子と内親王だけで良い」と、言った。

「王者たる者が、亡命者の身たることは、できぬ相談です。帝衣は、最高の死装束だと、わたくしは、母から教わりました」

そして、ヘミオラに向かって

「そなたの忠誠は、忘れぬ。心より、感謝します」と言い、にこやかに微笑んだ。

 

  

ヘミオラは、跪き、王妃の手を取り

「畏れ多うございます」と、頭を垂れた。

十数年前に、娘の行く末を案じながら不帰の人となった、王妃の母は、隣国の偉大なる女帝だった。

思慮浅く、愚かではあったが、王妃はやはり、女帝の血を引く、生まれながらの王者だったのだ。

 

 国王夫妻を警護しながら、ヘミオラは、革命軍から逃げまどう日々を過ごし、ついに、隠れ家が発見され、国王夫妻とヘミオラは、革命軍に捕らえられた。ヘミオラは、その場で自決しようとしたが、最後まで国王に付き従った忠臣は、民衆の憎悪の的であり、潔い自決など、許されなかった。

 

 

 

 

ヘミオラは、過酷な拷問ののち、裁判も受けられず、カノンの死からちょうど1年後に、民衆の前で、「新政府の敵」という罪名で処刑された。 

 

断頭台の階段を昇るヘミオラの足取りは、あたかも、宮殿の大階段を昇るときのように軽やかで、自ら上着を脱いで、にこやかに微笑みながら、死刑執行人に渡すその所作は、まるで、執務を終えて屋敷に戻り、執事に腰の剣を渡すかのように、優美だった。 

 

執行人に手渡された上着の胸ポケットには、前夜まで、カノンからの詫び状が、入っていた。 

 

10年間、肌身離さず持ち続けた、弟からの最初で最後の手紙を、ヘミオラは、明朝の死刑執行を言い渡されたあと、密かに取り出した。

一言一句、暗記しているその手紙を、丹念に読み返したのち、蝋燭にかざした。

 

燃え尽きた紙片を、掌に握り込み、ヘミオラは独房の天窓を仰ぎ、今は亡き弟に語りかけた。 

「カノン。この手紙は、何人の目にも触れさせぬ。そなたの直筆に目を通すことができるのは、私だけだ。カノン。明日には会える。待たせたな。

私が最後まで誇り高く、毅然として死ねるよう、どうか力を貸してくれ」

 

  

 

 

最愛の兄の、今生での最後の願いを、弟は叶えたのであろうか。ヘミオラのあまりに麗しい所作に、死刑執行人は手渡された上着を、思わず押し頂いて平伏し、詰めかけた群衆は、ヘミオラの匂い立つような気品に圧倒され、固唾を呑んで刑の執行を、見守った。 

野次と怒声が消え、しわぶきひとつ聞こえぬ静寂の中で、王家最後の近衛隊長は、逝った 

。打ち落とされた首は、槍にかざして晒しものにされ、200年続いたコンツェルティーノ公爵家は、途絶えた。

 

  

 

ヘミオラの最期の言葉は、「カノン。いま、参る」だった。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天上の楽園で、兄弟は再会する。天使になったヘミオラと、おいたが過ぎた罰として堕天使に降格されたカノンが。

 

 

 

「遅いよ、兄さま」

「良い子にしていたか?」

「はい」

しかし、弟の嘘は、すぐに見破られる。

「相変わらず、おいたが過ぎるようだな」

すぐに、兄の膝に乗せられた。

 

「悪い子は、お仕置きだ」

「いやだ、兄さま。、やめて」

ヘミオラは、カノンを膝に乗せて、お尻を平手で打った。

「痛い、痛いよ。ごめんなさい」

「もうしない。良い子になるから」

「兄さま、ごめんなさい。許して。痛いよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 

  

ヘミオラは、思わず微笑んだ。生前は、なかなか

「ごめんなさい」と言えなかった頑固な弟が、先ほどから、その言葉だけを繰り返している。

「今度悪いことをしたら、楽園から追放するぞ」

「いやだ。それだけはいや。もう二度と、兄さまと離ればなれになるのは、イヤ」

 

それを言われると、ヘミオラも、沈黙せざるを得ない。カノンに先立たれてからの1年は、地上の人生で、一番辛い日々だった。

ヘミオラには、分かっている。この1年、カノンが、さんざんにいたずらを繰り返したのは、大好きな兄さまと引き離されて、寂しかったからなのだと。

「兄さま、早く来て」

「ひとりぼっちで、寂しいよ」

そう言って泣きじゃくるカノンの夢を、何度も見た。寂しい思いをさせた弟がいじらしく、自分を庇って死んだ弟が、痛ましい。最愛の弟を、一人で逝かせてしまった。

 

だから優しい兄さまは、いたずらっ子の弟のお仕置きを、少しだけ手加減する。もう二度と、鞭は使わない。カノンが、これ以上泣かないように。寂しがらないように。

ヘミオラは、やんちゃな弟をしっかりと膝の上に抱き寄せて、怪我をさせないように注意深く、平手でお尻をぶって懲らしめる。

それでも、甘ったれのカノンは、最後には必ず泣いてしまう。ヘミオラは、泣きじゃくる弟を優しく叱りながら、お尻をさすってやる。

 

「兄さま。もうどこへも、行かないで」

「ああ」

ヘミオラは、カノンを抱きしめた。

「そなたは、私がそばにいないと、良い子でいられないからな」

「また、子供扱いなさる」

「口答えするなら・・・」

 

 再び腕を掴まれ、膝に乗せられそうになったカノンは、必死に抵抗した。

「もうしない、許して。久しぶりに会えたのに、お仕置きなんて、イヤだ」

堕天使に降格された、いたずらっ子のカノンには、本物の天使になれるまで、まだまだ、ヘミオラ兄さまのお仕置きが、必要だ。

 

  

 

 

    運命は、深い信頼と固い絆で結ばれた兄弟を、永遠の別れをもって、永劫に再会させた。

 

  

 

 

 

 

 

 

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